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02.04.2011
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2011.3.11 東北地方太平洋沖地震【いわき市】⑧
>> 未分類 / Theme:東北地方太平洋沖地震 / Genre:日記
3月22日

私の会社は業務停止のままだったので
義父の会社を手伝うことにした。

手伝うって言っても
何も分からないので、逆に足手まといになるかな・・・
と思いながら
電話を取ることはできるので
電話を取り続けた。


夕方、会社の水が出た!!!!
02.04.2011
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2011.3.11 東北地方太平洋沖地震【いわき市】⑦
>> 未分類 / Theme:東北地方太平洋沖地震 / Genre:日記
3月21日

前日まで三郷ICから水戸ICまでしか開通していなかった常磐道が
いわき中央ICまで開通した。

高速は、いわきナンバーが多かった。
みんな同じこと考えてるんだな~
って思いながら、いわきに向かった。


確かに、みんな色々なところに分散していたけど
いわきがゴーストタウンになってるって
湯本IC降りた所付近がテレビで流れていたようで・・・
そこは、もともと人が歩いてないし・・・
そんなに車も沢山走ってないよ・・・・


みんな、避難してたんじゃなくて


会社が業務停止中に、旅行に行ってただけだ。


そうだ。


22日から仕事が始まった会社も多い。
スーパーも、コンビにも少しずつ開いてきた。
22日以前は、買うのに数時間並んで買っていたって
いわきに残っていた友人に聞いていたけど
それも少し解消されていた。
ただ、ガソリンは手に入りにくい。

水も出始める地域が増え
夫の実家も水が出た。
アパートと私の実家はまだ水がでないけど、
水道局も頑張っている。
他県からも応援が来てくれて
確実に復旧に向かっている。

他にも自衛隊・消防・救急・道路修復・・・
他県から沢山応援が来ていた

みんな頑張っている。


放射線にゆれる福島県に
来てくれている。


ありがとう。


あとは、地元の人たちも頑張って
復興していかなければならない。
何を言われようと、
いわき人は負けない!



02.04.2011
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2011.3.11 東北地方太平洋沖地震【いわき市】⑥
>> 未分類 / Theme:東北地方太平洋沖地震 / Genre:日記
3月16日

無事に、川崎に着く。

途中、計画停電で信号機がついていなかったり、
お店の中が節電で薄暗かったり・・・


17日~19日

川崎でおとなしくしていた。
ちょっと町田とか新宿とかに行ってみた。
学生達が、募金活動をしていた。
壁には、励ましのメッセージが書いてあった。

私、被災者だったんだ・・・

なんとなく、自分が被災者だって事が飲み込めてなくて、
まだ夢なんじゃないかって思いながら一週間を過ごしていた。
そんな中、各地で頑張ってくれている人がいるって事を知った。


20日

義父・母は、いわきに戻ることになった。
22日から仕事をする!
そう言っていわきへ戻った。
義父の経営する会社は、車を解体する会社です。
この震災で、沢山車が壊れ、流され。
引き上げなければならない。
早く復興させる為にも、仕事をしなくてはいけない。
私たち夫婦も、21日に帰ることにした。



原発は、未だに大変深刻な状態の様だった。
31.03.2011
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2011.3.11 東北地方太平洋沖地震【いわき市】⑤の追記
>> 未分類 / Theme:東北地方太平洋沖地震 / Genre:日記
3月15日

避難して、栃木に入った
途中、山道になった。

真っ暗だし、山だし。

だけど、上りきった所に一台の車が停まっていた。

夫と2人で
その車を抜かしながらチラっと見た。



夫「今、ガラスに人がへばり付いてなかった?」


私「いた・・・・・」


なんとなく怖かったけど、
バックして戻った。


そしたら、女の子が一人で車の中にいた。


どうしたのかと聞いたら、
いわきから避難してきたんだけど
ガソリンが無くなって停まった。
っとの事だった。



オイオイ・・・・



たまたま、携行缶にガソリンを持っていたので
少しだけ入れてあげた。

そして、明るいところまで2台で移動した。


栃木県のセブンイレブン。


セブンイレブンやってる~!!!


と、その時の私たちには
それだけでも凄い事だった。



そして何より

トイレの水が流れる~!!!!



まだいわきは、断水していた。
だから、水道から水が出るだけで
とっても喜んだ。



しかし、ガソリンが満タンじゃない状態で
避難するくらい
いわき市民、いや・・・
多分福島県内には多数いたと思う。
その位、精神的に不安定な状況だった・・・



その子とは、そこで別れ

目的地についたら連絡するように
と連絡先を教えた。

そして私たちはその日、足利の健康センターに泊り
翌日川崎へと再度向かった。


久しぶりに入ったお風呂
とても気持ちよかった。
31.03.2011
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2011.3.11 東北地方太平洋沖地震【いわき市】⑤
>> 未分類 / Theme:東北地方太平洋沖地震 / Genre:日記
3月15日

朝から義父の会社へ行く。

ただ、このころは
原発もそうとう酷い状況にあった。
テレビで見る限りはそうだと、日本中の人は知っていると思う。
だけど、まさに福島県にいる人は
どうしていいのかわからない状態だったと私は思います。

本当に、あの屋内退避圏内だけの指示で
大丈夫なのか?

本当は、もっと広いんじゃないのか?

水素爆発が続いたり
燃料棒がどうのこうのって言ったり
放射線量が○○マイクロシーベルトとか

毎日の様にテレビで流れ・・・

ただちに人体に影響を及ぼす値ではないとか・・・

って事は将来は?



そんな不安な状況で
みんな情緒は不安定だったと思う。



義父・母に避難するようにと告げられた・・・・



ここは、前にも書いたように
屋内退避圏外である。



だけど、将来あるお前たちは、
早く逃げろって言われた。


自分の身に何かが迫っている気にさえなった。


今まで仲良く楽しく過ごしてきた家族が
バラバラになる瞬間だった。




夫の姉の居る川崎に避難する事になった。




いわきから離れたくないし
家族とも離れたくないし



すごく悲しくて
すごく悔しくて



地震・津波・原発


3つの被災を受けた福島県。


風評被害も広がり始めた。



憤りを感じた。




それから数時間ご
義父・母と私の父・母が一緒に川崎へ向かっていると連絡が入った。


義父・母が
『生きていれば、これから何でもできるんだから、とりあえず避難しろ』


と知人に言われ、
確かにそうだ!と思って避難する事にしたらしい。


よかった・・・・


とりあえず別々に動いているけれど、
目的地が一緒になった。
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